ÉMAncipé

自分をもっと解放していきたい 朗読者EMAの日々

想念フィールド

北海道もここ数日とても暑くて

私の古いパソコンがすぐに

ウィーン・ウィーン(あーつーいー💦)と

悲鳴をあげるので

色々作業が滞ってしまいます…

 


パソコンを少しクールダウンさせている間

ワプニク先生の本

『天国から離れて〜ヘレン・シャックマンと「奇跡講座」誕生の物語』

を手に取ってパラパラしていました。


この本は一度しか通読していないので

内容はほとんど忘れていて

読むたび新鮮です😆

(記憶力が良くないのもなかなか良い!)


パッと開いたページには

ヘレンさんの書き取ったもののうち、

発信元が明らかにイエス兄からのものではない原稿があった、という事が書いてありました。


「音声に関する記録」と名付けられた文書で、「癒しの物理的効果を計測するための装置の作成」について述べた非常に技術的な論文だったそうです。

ヘレンさんがひとりで書けるような題材ではなく、科学者も驚くような内容のものだったのですが、論文的には未完となってしまい、装置も完成には至らなかったようです。


そんな興味深い論文でしたが、その一部分だけ、コースの内容に類似している所があったとして、この本の中で紹介されていました。


「病いと癒やし」に関する内容ですが、なるほどなぁと感銘したので、ここでシェアしますね。

 

…しかしながら、患者はその他の症候を発現するかもしれない。

物理的な癒しは、全的背景[すなわち、心そのものの中]の代わりに、本質的に局所的な[すなわち、肉体的な]力の再調整を表すものだからである。

その理由は、それらが依然として時間の中で生じ、したがって時間それ自体の幻影的な性質を保持しているからである。(中略)肉体のどの部分で癒しが生じるかは問題ではないし、どういう手段によりそれがもたらされるかの問題ではない。

理論的な観点からすれば、

癒しとは、唯一、それ以前は病気を受け入れていたところに今では癒しを受け入れるという心の変化がもたらす結果であり、それ以外にはない

と言うことができる。

心の変化は、患者の周りの想念フィールドを変化させる。

そして、その想念フィールドとは彼のいる場所を示しているように見えている場所である。癒しが医薬、外科手術、信仰などのいずれによってもたらされたとみなされる場合でも、癒しにおけるこうした変化に違いは無い。

信仰(癒されると信じること)による癒し以外に、癒しはありえない。なぜなら、病気に対する信仰(病気が存在すると信じること)による以外に、病気はありえないからである。

 

『天国から離れて』(p449)

 


「心の変化は想念フィールドを変化させる」

 


なんかわかる〜!って感じがしました😊

なんか知らんけど😆

やっぱりご機嫌でいる事って大事です♫

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