ÉMAncipé

自分をもっと解放していきたい 朗読者EMAの日々

チクセントミハイ「フロー」

朝ごはんを食べた後にぼーっとしていたら

どういう訳か、昔読んだチクセントミハイ博士の「フロー体験」の本を思い出し、もう一度ちゃんと読みたいなあと思いました。

今はもう手元にない本なので、近くの図書館にあるか検索してみたら…

残念ながら無し😭

 

でもTEDで聴衆に向かって語るご本人を発見しました!

2004年の動画ですが、お話が面白かったのでシェアしますね♫

私はヨーロッパで育ち第二次世界大戦の時、7歳から10歳でした。私の知っていた大人でこの戦争による悲劇を耐えることのできた人はわずかでした。戦争で仕事や家などの拠り所を失ってしまって、平穏無事に満ち足りている幸せな生活すら維持できない人が多いことを目の当たりにしてきました。


そこで「何が人生を生きるに値するものとするか」と言うことに興味を持つようになりました。ティーンエイジャーの若者ながら哲学書を読み、芸術と信仰や多くのことに関わって、この問いの答えを探し求めました。


そんな中、心理学との偶然の出会いがありました。


私はスイスのスキーリゾートにいましたが、遊ぶお金はありませんでした。雪も溶けてしまい、映画を見に行くお金も持っていなかったのですが、チューリヒの街中で講演会をすると言う新聞記事を見ました。空飛ぶ円盤について話すと言うことでした。私は、まぁ映画にも行けないのだから、無料なら空飛ぶ円盤の話を聞いてみようかと考えました。


その晩講演した男はとても興味深い人でした。小さな緑の宇宙人の話の代わりに、彼はヨーロッパ人の精神がいかに戦争で傷ついたかを述べました。空飛ぶ円盤を外に見いだすことで、古代ヒンズー教曼荼羅にあたるものを空に映し出すことで、それは戦争後の混乱の中から何かの秩序を取り戻そうという試みだと語りました。私はこれをとても面白いと思いました。


この講演を聞いてから、彼の本を読みあさりました。カール・ユングがその人でしたが、それまでは名前も成果も知らなかったのでした。やがて私はアメリカに渡って心理学を学ぶことになりました。そして、幸せの根本は何かを理解しようという試みに着手しました。


このグラフは多くの人が説明してきたものです。

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多くのバリエーションがあります。この1956年にアメリカで行われた調査では、30%の人が人生が非常に幸せだと答えています。その数字はそこから全く変化しません。個人の収入は(インフレを考慮した尺度で見ると)この期間に2倍以上ほぼ3倍に向上しましたが、それでも幸せについては同じ結果になっています。


貧困線よりも数千ドル多い程度のある基準を超えてしまえば物質的な充足は人の幸福とは関係しないようです。基本的な物資・物的な財産が不足すると不幸に結びつきますが、逆に物的な財産が増えても幸福は増大しません。


以上のように、実際の自分の経験に即した物事を見出したことを踏まえて、私の研究はもっと焦点を絞り、日々の暮らしの中、通常の経験の中の一体どこで我々は本当に幸福を感じるのか、と言うことを調べています。40年前にこの研究を始めるにあたり、創造的な人たちに着目しました。芸術家や科学者などが、何を持ってその人生を費やすに値すると考えるのか、彼らの多くはそのことから名声も富も期待できなくても、それでも人生に意味と取り組む価値を与える、それは何か。

 

この人は70年代のアメリカ音楽の著名な作曲家の1人です。インタビューは40ページにも渡りますが、この短い抜粋には、彼がインタビューで言っていた内容がよくまとまっています。作曲がうまくいっているときに彼がどう感じるか説明してあります。彼はそのことを「忘我の状態」と表現しています。


ギリシャ語の「忘我(エクスタシー)」は、「何かの横に立つ」と言う意味です。その状態になると、日常の決まった作業しているとは感じられないような精神状態を表す例えとして使われるようになりました。忘我とは本質的には異なる世界の現実に足を踏み入れることです。


それは興味深いことです。考えてみれば時代の頂点となった人類の偉業について、中国であれギリシャであれヒンズー文明であれ、マヤ文明、エジプト…これらの文明について知られている事は、彼らの「忘我の世界」についてであり、日常生活についてではありません。われわれは、彼らの立てた寺院について知っています。


寺院とは、日常とは別の現実を経験するために訪れるところです。円形競技場をご存知でしょう。アリーナや劇場、これらは古代文明の名残ともいえるものです。人々は濃密で秩序立てた人生を味わうために訪れます。


この作曲家はそんな場所に行く必要はありません。この場所、ここのアリーナもまた、ギリシャの円形劇場のように「忘我の状態」のための場所です。毎日慣れ親しんだ人生とは異なる別の現実に皆さんは参加しておられます。


しかしこの作曲家はそこに行く必要はありません。小さな楽譜を書き込むための紙だけが必要なのです。作曲をしていると、これまで存在したことのない音の組み合わせを想像することができると言うのです。


そこで、(ジェニファーが即興演奏をしたときのように)新しい現実を作り出す状況に到達すること、これが「忘我のひととき」です。彼は別の現実に入り込むのです。


彼は言います。これは非常に強烈な経験で、あたかも自分が存在しないかのように感じます。誇張した絵空事のように聞こえるかもしれません。ところが実際、ヒトの神経系は、毎秒110ビット以上の情報を処理することができません。私の話を聞いてそれを理解するには、およそ毎秒60ビットを処理しなければなりません。それだから3人以上の話を聞くことができず、3人以上の人が話しかけても理解できないのです。


さてあなたが、この完全に没頭してしまうプロセスの中にあり、この人と同様に何か新しいものを作っているとしたら、身体の感覚や家庭での問題を気にする分の注意力は残っていません。空腹や疲れさえも感じません。彼の意識からは身体も、自分が誰かと言うことも消えてしまいます。何故かと言うと、集中して取り組むべき何かをうまくやり遂げながら、同時に自分の存在を感じるほどの注意力は残っていないのです。


誰でもそうなります。そこでは人の存在はしばらく忘れられています。彼は自分の手が勝手に動いているようだといいます。でも、私は作曲ができないので、自分の手を2週間見続けたとしても、畏怖も驚きも感じる事はないでしょう。その事は何を意味するのか。


インタビューの他の部分にも記された自動的、自発的な過程は、よく訓練されて技術を身に付けた人にだけ起きるのです。そして創造性の研究の中で、こんなことが明らかになっています。10年間特定分野の技術的知識に深く関わることがなければ、何か創造的になるなどと言う事はありません。数学でも音楽であっても、先行するものよりも、どこかに優位性のあるものを作り出せるようになるにはそれだけの時間がかかります。


さて、その状態が生じると、音楽が自然に湧き出てくると彼は言います。私がインタビューを始めた時にお願いした人たちはすべて、(インタビューは30年ほど前のものですが)実に多くの人がこんな状態を自発的な流れと説明します。そこで私は、この種の経験を「フロー体験」と呼ぶことにしました。


これは様々な領域で生じます。例えば詩人はこんな風に表現します。この調査は私の生徒が行ったもので、米国の主要な作家や詩人の中から何人かにインタビューをしました。同じように、この忘我の状態に入ると、無理なく自然な感覚に到達すると言うのです。詩人はドアを開けると空中に浮かび上がっていくような感じ、と説明します。これは、アルバート・アインシュタインが、相対性の力がどう働くかを理解しようと苦労していた時に、どうやって着想を得たかという説明とよく似ています。でも他の活動においても生じるものなのです。


これは別の生徒、オーストラリア出身のスーザン・ジャクソンが世界の有名なスポーツ選手を研究しました。オリンピックのスケート選手の描写です。選手の内面の状態について同じことを描写しています。あなた自身が音楽と一体になるようなことが自然に起きるとは思われないかもしれません。


また一番最近に書いた本「グッドビジネス」の中で、私は何人かのCEOたちにインタビューをしました。これらの人々は同業者たちから、非常に優秀で倫理に優れ、社会責任を担っているとして推薦された人たちです。


この方たちにとって「成功」とは、「自分の仕事の中で他の人を助けながら、同時に自分も幸せになること」と定義されているのがわかりました。そして、これらの成功して責任あるCEOの人たちが言うように、その中の一部分だけに成功すると言う事は無いのです──有意義で成功する仕事を望んでいるのであれば。


アニタロディックもまたインタビューを受けたCEOの1人です。化粧品、中でも自然派化粧品の雄、ボディーショップの創始者です。彼女の情熱は仕事中にベストを尽くしてフローの状態に至っていることから得られるものです。


これはソニー創始者である井深大の味わい深い一言です。彼はその時ソニーは始めたばかりでお金もなく、製品もなかったのです。何もない状態でしたが、アイディアがありました。彼のアイディアと言うのは、エンジニアが技術革新の喜びを感じられて、社会に対する使命を意識して、心ゆくまで仕事に打ち込める仕事場を作り上げると言うものでした。「フロー」が職場でどう実現されるのか、これ以上良い例を思いつきません。


我々の研究ではこれまでに、すでに世界中の研究者たちと8000回以上のインタビューを行いました。(ドミニカの僧侶や盲目の修道女、ヒマラヤの登山家、ナホバの羊飼いにも)彼らは皆自分の仕事を楽しんでいます。


そして文化によらず、教育にもよらず、人が「フロー」に入るときの条件として、「7つの条件」があると考えています。このポイントが十分強まると「忘我の感覚」「明晰な感覚」に到達するのです。

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それは、時間の経過とともに、常に自分が何をしたいのかわかっていて、直ちにフィードバックが得られること、何をする必要があるかわかっていて、それが難しくても可能なことで、時間の感覚が消失すること、自分自身のことを忘れてしまうこと、自分はもっと大きな何かの一部であると感じること、これらの条件が満たされるなら、あなたがしている事はそれ自体で価値のあることになります。


我々の研究では、この簡単な図で人々の毎日の生活を記述できます。そして、実際にとても正確にこれを測れるのです。


参加者に1日10回なるポケットベルを配布して、それが鳴るたびに、何をしているか、どんな気分か、どこにいるか、何を考えているか、を記録してもらいます。2つのことを継続します。それは、その瞬間に経験していることの挑戦の度合いと、その瞬間に適応している技術がどの程度のものかと言うことです。それぞれの人について平均をとって、この図の中心点にします。その人の平均的なチャレンジとスキルのレベルで他の人のものとは違っているはずです。ともかく、こうして選ばれた平均値を図の中心にします。

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中心点のレベルが分かっていれば、かなり正確に、どんな時に「フロー」状態に入るか予想できるようになります。つまりチャレンジが平均よりも困難で、スキルも平均以上のものが求められている時です。

 

あなたは他の人とは非常に異なるやり方で仕事をしているかもしれませんが、この「フロー」の入り口は誰にもあり、自分の本当に望むことを行っているときにはそこに存在しています。ピアノを弾く事や最高の友達との時間、もし仕事があなたにフローをもたらしてくれるものなのなら、仕事の時にもです。そして他の領域は次第に好ましくなくなります。


「覚醒(arousal)」の領域では、困難に挑んでいるのでこれは良いものです。あなたの技術は求められるものほど高くないのですが、技術をもう少し高めることでかなり容易にフローに入ることができます。「覚醒」の領域からはほとんどの人が学べるでしょう。ここは彼らが快適な範囲外に押し出されており、フローの領域に戻ろうとして、人はもっと高度な技術を身に付けます。


「制御(Control)」の領域も良いところです。ここでも人は快適です。ただあまり刺激はありません。チャレンジと言うにはあまりに容易なのです。「制御」から「フロー」に入りたければチャレンジの度合いを高めなければなりません。これらの2つは望ましく、そしてお互いに補う領域で「フロー」へとたやすく移動できます。


他のチャレンジとスキルの組み合わせに移ると次第に望ましいものでなくなります。


「弛緩(Relaxation)」も悪くないですね。気分は良いです。「退屈(Boredom)」は避けたいものです。「無気力(Apathy)」は非常に否定的です。何かをしようという気がなくなります。スキルを使わず、チャレンジもしません。不幸なことに多くの人の経験は、この「無気力」の領域にあります。テレビの視聴がこの経験に寄与するところは大きく、その次はトイレで座っている時…。ときにはテレビを見ている時でも、その7〜8%の時間はフローに入っているかもしれません。それは本当に見たい番組の時です。そこから得るものがある時です。


さて、答えるべき質問は、毎日の生活の中でどうすればより多くの時間を「フローの状態」に出来るか、これを理解しようと私たちも努力しているのです。皆さんの中には、アドバイスがなくても自分でやり方を分かっている方もいるでしょう。しかし、不幸なことに多くの人はわかっていません。それに対して、我々の研究がひとつのやり方になるのです。ありがとうございました。

(TED 2004年2月)

 

チャレンジとスキルの相関関係の図が分かりやすいですね!

私も自分の「フロー」の入り口を探ってみたいと思います😊

 

「好きこそものの上手なれ」な感じで、誰もが好きな事に没頭して幸せを感じられるようなステキな世界になりますように!