ÉMAncipé

自分をもっと解放していきたい 朗読者EMAの日々

やっぱり与えることと受け取ることは同じ!

今日から日曜日まで、娘の高校の学校祭が行われます。

今日は仮装パレードの日でした。

クラスごとに思い思いのテーマで仮装して、山車をもって市内を歩きます。

 

私は絶好の撮影ポイントで、娘のクラスが来るのを待っていました。

他のクラスの仮装も、見ていてとても楽しかったので、何枚も写真を撮っていました。

仮装した子供たちは、ぞろぞろと歩きながら、沿道の私たちに向かって「こんにちわ!」と元気に笑顔であいさつしながら次々と通り過ぎていきます。

見知らぬ私のようなおばさんにも、皆笑顔で挨拶してくれるので、なんだかとってもいい気分♡

私がカメラを構えていると、私に向かってあいさつしながら、

「撮影して!」

というそぶりで、ポーズをとってくれる女装した男の子がいました。

さわやかな挨拶、屈託のなさ、笑顔のかわいさに圧倒されて、私も嬉しくなって

「はい、チーズ!」

とシャッターを切ってしまいました。

「ありがとうございます!」とその子。

私は思わず「何年何組?」と聞くと、彼は「〇年〇組」と答えながら楽しそうに去っていきました。

こんな心の交流っていいなあ。

 

子どもたちは次から次へとやってきます。

私はアンパンマンのカビルンルンに扮した娘の姿もカメラにバッチリ納めて、仮装の子供たちがクラスの踊りを披露するパフォーマンス会場へと向かいました。

最近の子供たちはホントにダンスが上手!

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たくさんのお客さんに囲まれながら、笑顔でパフォーマンスを見せてくれる子どもたち。振り付けも衣装もみんな自分たちで準備するんだから、ホントすごいなあ、と感心してしまいます。

娘も楽しそうに踊っていたので、その姿を見ることが出来ただけで母は満足でした(≧▽≦)!

 

帰り道、ふっと

「さっき、写真を撮ってあげたあの男の子に、写真をあげたいなあ」

と、思いました。

「めんどうだな。」「知らない子だし必要ないでしょ?」

なんていう思いもよぎったのですが、

「あの知らない子に今日撮った写真をすぐに渡してびっくりさせたい!」

というアイディアに、自分自身がなんかワクワクしてしまったんです^^♪

すぐ近くにセブンイレブンがあったので、SDカードから2枚だけプリントアウトして、学校の事務の方にその子のクラスの先生に写真を渡してくれるようお願いしてきました。

 

 

たったそれだけの事なのに(無事にその子の手に渡ったかどうか、その子が喜んでくれたかどうかも定かではないのに)私の心の中は大満足!

ただの大きな自己満足なのに、心の中はHappyな気持ちで満たされていました。

私は彼に「喜び」をあげようと思って、思いを実行したと同時に、私はすでに「喜び」で満たされていました。

 

 

あ、昨日のコースのレッスンで言ってたことだ!

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レッスン108

「与えることと受け取ることは真実においては一つです。」

 

 

 

 

亜麻の花

昨日、JRの電車の中でTwitterを見ていて、こんなツイートを見つけたんです。

 

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亜麻の花か~!きれいだな~!でも、本物見たことないなあ。

見てみたいなあ~。今咲いているのかな?

行ってみる?明日は予定入ってないよ!

明日の天気は…?

「晴れ」!

これは行くしかない!

 

……という事で、行ってきました!当別町

今朝は晴れの予報なのに、雲が厚く垂れこめていて、どんより。

それでも、桜を見に行った時も聖霊さんが晴らしてくれた!だから大丈夫!

そんな気持ちで出かけました。

当別町は今週末に「第10回北海道亜麻まつりin当別」というお祭りが企画されていて、そのチラシに出ていた地図を頼りに亜麻畑を探しました。

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この地図によると、計4か所の亜麻畑があるようなのですが、街中よりも山の方がいいなあと思い、まずは地図の「青山地区」に行ってみることにしました。

意気揚々と行ったのですが、「ここだよなぁ・・・?」という場所には、田んぼと麦畑が広がっているだけで、青い花畑らしきものは見当たらず・・・。

行けども行けども、田んぼと麦・・・。

空もどんより、心もどんより・・・。

ちょっと残念・・・。

 

 

「さあ、まだ他の亜麻畑がある!3か所もあるよ!」

と気持ちを切り替えて、「東裏地区」の「篠津運河」沿いの畑を目指しました。

地図は碁盤の目になっていて、とても分かりやすそうなのですが、

実際は、ほぼ全部どこを見ても広い広い麦畑と田んぼで、何の目印も標識もなく、頼りのgoogle mapsも目的地表示の赤い印が、畑には付かない!

それでも何とか「このあたりだよなあ・・・」の場所に来てみたものの、青い花畑は見えなくて、泣きそうになりました。

来た道を引き返して・・・さらに進んで・・・進んで・・・

 

 

 

ありました~!!!

 

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やっと会えました。青い可憐な妖精。はじめまして。

 

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もう嬉しくて嬉しくて、この嬉しい気持ちを誰かと分かち合いたくて、YouTubeで初めてのLive配信もしてしまいました!

youtu.be

突然のLive配信だったのに、しかも、2分程度の短い時間だったのに、3・4名の方が同時に見て下さっていて、感動しました!

Liveって「同じ瞬間を共有できている!」という感覚が本当に嬉しいなと思いました。

 

そして、この青い空と、おひさまの光!

本当に頼りになる聖霊さんです!もう、感謝の気持ちしかありません!

ありがとうございました!

こんなに素敵なシチュエーションを提供してくれるなんて!

そして、少しのドキドキもありがとう!

ちょっと不安がらせて、こんなに素敵なものをプレゼントしてくれるなんて、聖霊さんはきっとプレイボーイに違いない(≧▽≦)!

今後ともどうぞよろしくお願いしますよ!聖霊さん!

 

 

あとから気づいたことでしたが、実は亜麻の花が満開の畑はここだけだったようです。

導きに感謝!感謝!です。

私は目で「青い花畑」を探していたので、「青山地区」の花が満開となっていない亜麻畑にはどうやら気づかなかったみたいなのです。帰り道で見た近くのもう一つの亜麻畑は花がまだまばらで、ただの草地のように見えました。

知らぬ間に、私の望んだ

「一番いい場所」

「(晴れる時間を見計らった)一番いい時間帯」

に連れて行ってもらえていたのです。

やはり、頼りになるのは

「色眼鏡の付いたエゴちゃんの思考や知覚」ではなくて

聖霊さんにおまかせ!の気持ち」なんだなあとあらためて思った一日でした。

 

 

 

 

 

 

 

 

コースワークブック再開!

しばらくサボっていた「奇跡のコース」のワークブックを今朝から再開しました。

いつも香咲弥寿子さんの朗読を聴きながら学習しています。

https://youtu.be/E7cP9cT781w

今日のワークは今の私にとてもヒットしたので、ここで一部シェアしたいと思います。

 

(以下の訳はThere Is No Spoon さんからの

転載http://thereisnospoon.jp/

Lesson 107 - Truth will correct the errors in my mind
レッスン107「真理が私の心の中の誤りを修正してくれる」

1. What can correct illusions but the truth?
 真理以外の何が幻想を正すことができるというのでしょうか。

 And what are errors but illusions that remain unrecognized for what they are?
 そして、誤りとは単に、それが錯覚であると気づかれないままになっている幻想にほかならないのではないでしょうか。

 Where truth has entered errors disappear.
 真理が入ってくると、誤りはそこから消え去ります。

 They merely vanish, leaving not a trace by which to be remembered.
 誤りは単に消滅するだけで、思い出すことができるような痕跡を残すことなく去ってしまいます。

 They are gone because, without belief, they have no life.
 誤りは生命を持たないがゆえに、信じられることがなければ、消え去ってしまいます。

 And so they disappear to nothingness, returning whence they came.
 そのようにして、誤りはそれが生じた無へと戻って消え去ります。

 From dust to dust they come and go, for only truth remains.
 塵から塵へと、誤りは来ては去ってゆきます。というのは、ただ真理だけが変わらないものだからです。

(中略)
9. Truth will correct all errors in your mind which tell you you could be apart from Him.
 真理は、あなたに自分が聖霊から離れていることができると告げるあなたの心の中のあらゆる誤りを修正してくれます。

 You speak to Him today, and make your pledge to let His function be fulfilled through you.
 今日、聖霊に語りかけ、自分を通して聖霊の役割が果たされるようにすると誓約してください。

 To share His function is to share His joy.
 聖霊の役割を分かち合うことは、聖霊の喜びを分かち合うことです。

 His confidence is with you, as you say:
 次のように言えば、聖霊の確信があなたのものとなります。


Truth will correct all errors in my mind,
真理が私の心の中のすべての誤りを修正してくれる。

And I will rest in Him Who is my Self.
そうすれば、私は自分の大いなる自己である聖霊の中に安らぐことになる。


 Then let Him lead you gently to the truth, which will envelop you and give you peace so deep and tranquil that you will return to the familiar world reluctantly.
 それから、聖霊に、真理の下へとあなたを優しく導いてもらってください。真理は、あなたを包み込み、あなたにあまりに深く安らかな平安を与えてくれるので、あなたは慣れ親しんだ世界に戻りたくなくなることでしょう。


10. And yet you will be glad to look again upon this world.
 それでも、あなたは再びこの世界を見て嬉しくなるはずです。

 For you will bring with you the promise of the changes which the truth that goes with you will carry to the world.
 というのも、あなたと共に歩む真理がこの世界に様々な変化をもたらすという約束を、あなたは自分と一緒に持ち帰ることになるからです。

 They will increase with every gift you give of five small minutes, and the errors that surround the world will be corrected as you let them be corrected in your mind.
 この世界にもたらされる様々な変化は、あなたがたった5分の贈り物を捧げるたびに増えていき、そして、この世界を包囲していた誤りの数々は、あなたが自分の心の中で誤りが修正されるようにするにつれて、修正されていきます。

(転載以上)

 

今日のワークの

「誤りとは単に、それが錯覚であると気づかれないままになっている幻想にほかならないのではないでしょうか。」

「真理が私の心の中のすべての誤りを修正してくれる。そうすれば、私は自分の大いなる自己である聖霊の中に安らぐことになる。」

という言葉に安心させられる私がいて、朝からとても良い気分でした。

ゲート師匠もいつも、

「これは幻想に過ぎない」

「「私」の現住所を常に自覚しよう」

と言っています。ここで言う「私」と「大いなる自己」「聖霊」は同じなのでしょう。

「私」の居場所を真実の元におけば、この世界は幻想です。その事に常に気付いていて、幻想世界を楽しむ事にします。

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ゲート師匠の講話から(6)

21日(水)の夜の懇談会の前に、会員の方による「前世の見方講座」と「スプーン曲げ講座」があり、私は「前世」の方だけ参加してみました。

 

誘導瞑想で前世を見ていくのですが、はっきりとは見えなかったものの、ぼんやりとしたイメージを感じることはできました。

何だか山深いところで、修験道の行者のような姿で歩いている私。頑張っている様子なのだけれど、なんだか一人寂しそう。

「あなたはどんな様子で亡くなりましたか?その人生で何を学びましたか?」

と問われ、浮かんできたイメージは、

「何もかも捨てて修行したのに、何も得られなかった」

という無念な思いでした。

もう残念で残念で…という気持ちがあふれてきて、涙まで出てきました。

あー、だからまた生まれてきたんだな。私。

これはもう、今世で絶対に悟りたいものです!

 

また、私は参加しなかった「スプーン曲げ講座」は大変盛り上がったようで、皆さん、ぐにゃりと曲がったスプーンを手に満面の笑みでお部屋から出てきました。

私も次回は参加しよう!と思った次第でした。

 

さて、ゲート師匠は皆さんが曲げたスプーンを見て、大喜びされていました。

そして、以下のようにお話しされました。

 

(以下一部書き起こし)

皆さん、このような(スプーン曲げのような)小さなことから始めて、私たちは「できるんだ」という信念を持つことから始めて、思考を転換することがとても大事なんです。このように金属にも影響を与えることができるんですから、どうしてこの柔らかい私の体に影響を与えられないはずがあるでしょうか?

皆さんがもともと持っている手は、神の手であり、薬の手です。

これが体を触れば治療が全部できるようになっている。

ですから、まず最初に私をとても尊いと思わなければならないんです。

私の事をとても尊く思ったその時からが、始まりなんです。

 

(中略)皆さんと同じような人を探してみてください。日本に、地球上に、宇宙に、どこに行っても私のような人はたった一人なんです。その一つだけとってみても、どれほど私自身には存在価値があるでしょう。

この宇宙に、この地球人類だけでも70億で、太陽系、銀河系、あの遠い宇宙の果てまで、数限りなく数億の生命体がいます。数十億、数千億の生命体が生きているのに、その中でも、私のような存在はたった一つしか存在しないんだ。

この宇宙全体には、私のような人間は私一人しかいない。皆さん喜悦感を感じませんか?どうして喜悦感を感じられずにいるんでしょうか?そしてどれほど恍惚として感謝できることでしょう。たった私一人しかいないのに。あまりにも喜悦感に満ち溢れるじゃないですか!その事だけ見ても、私がどれほど尊い存在でしょうか?

(中略)

なんであろうとも、たった一つというのは希少価値がものすごいんだよ。

だからほかの事を見る必要がなぜあるんだろう。神を見る必要がないし、私一人で十分なんだ。

それ一つだけを皆さんが完全に受け入れたら、ここで一番大きな悟りが起こり得るんだ。その一つだけでも、この事実一つだけでも、ものすごい悟りが起こり得るんだ。

何か難しい悟りだろうか?この宇宙に私のような存在は私一人しかいない。

それが心に押し迫った時、それを受け入れたとき、それを受け入れざるを得ないんだよ。明々白々な事実だよ。その恍惚感は言葉では表現できない、何にもうらやましいことがないんだ。私は一人だ、私のような人は一人しかいない。この祝福、この恍惚感。

どうして皆さんはこうしたことを感じずに生きているんだ!

(人は)誰かを見ながら、あれを持てたらいいな、誰かがうらやましいな、と言う……

私がいつも皆さんに言っていることは、私は神さえもうらやましくはない。私は私一人しかいないんだ。私はその一つだけでも、私の存在の尊さは分かったよ。

それで私は他の何にも気を遣わず、私自身についての自覚をしよう。私が目覚めて行くことだけに集中しよう。宇宙、神様、イエス様、仏様、見る必要がないんだよ。

私はこの一つしかない尊い事だけを考えようと、私にだけ集中し、私にだけ関心をもって、私のために生きたんです。

私の体が何かを食べたいというのなら、7.8時間かけて車を走らせても、食べさせて上げるようにしました。冷麺を食べさせてあげました(笑)。どれほど尊い存在だから、冷麺を差し上げないといけないじゃないですか。

私自身にそのようにして、私の尊さ、私のために、私に対する愛、私の存在価値が分かったんです。

その時から私の全ての感覚器官がよみがえってきました。

すべての細胞と今対話をしているような気持ちです。恍惚感に満ちますよ。その一つだけを悟っただけなのに恍惚感に満ち溢れました。

この真実は私にだけあるんだろうか?

いえ、皆さん一人一人にあります。それが真実です。どれほど幸福感に満ちた祝福でしょう。

(書き起こし以上)

 

自分を大事にすること、自分を愛すること。

基本はここから!ですね。

満ち溢れた自分になっていく!

修行者の前世では、私は私を愛することの大切さには気づいていなかったようなので、今世は大事にしてあげようと思います。

もっと幸せにしてあげよう。

そして幸せな夢から目覚めよう!

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ゲート師匠の講話から(5)

21日(水)午前の講話では、色々な興味深いお話が次々と出てきました。

例えば…

 

仏教が菜食主義となった本当の理由

〇「相対性理論」の相対性原理を作用させているもの

〇空中浮遊について

放射線について

〇人の声の振動が水の分子構造を変える?!

 

面白い話がポンポンと飛び出すので、会場は始終、笑い声が響き、リラックスした雰囲気に包まれていました。

それでも最後の師匠の話が、多岐にわたったお話を、びしっと一つにまとめて下さいました。

 

(以下一部書き起こし)

…人間が潜在的に持っている能力は無限なのです。

私たちは何でもないようにいろんな考えを起こし、色んな事を言ってしまうが、私たち人間には無窮、無限の能力が潜在的にあるがために、自覚を通じて自分自身を発見し、成長させ、自らの能力を取り戻すべきなのです。

私の、自分の感覚を取り戻すべきです。

こういった事がとても重要なのです。

 

また何かを学ぶときには、すべての真理に対して謙遜であるべきです。

考えはいつでも変えることができます。

私が知っていることにあまりにも固執するなら、知っているというその枠にとらわれてしまうのです。

学びというのは限りないもの。

ですから

「常にオープンハート、開かれた心を持って頑張ろう。自慢することなく、傲慢でもなく、「私のものである」という主張を捨てて、自らの中で覚醒が起こるときまで、覚醒が一つ起こればまた別の覚醒のために、ずっと自覚し続けよう。」

こういう精神がとても必要なのです。

本当にしっかりここで勉強するぞと思えば、心の出家。

私が持っているものをすべて捨てるというのではなく、そこで留まることなく、もっと進んでいこうと言っているんです。

既存の自分の判断や価値観を無視しなさいと言っているのではありません。そこからもっと前に進もうと言っているのです。そしてもっと前進するべきだと言っているのです。

皆さん勉強してみれば何かが分かったような気持ちになって、人よりもずいぶん進んでいると思い込み、それを知らない人間を自分よりも劣ったものとみて、はなはだしくは、「私は全部分かった。」という風に思い込みますが、そういう時こそ、私自身を奮い立たせて、もっと前に進もうとするのです。

もっと、もっと大きく自分を開いて行こう。もっと悟っていこう、分かっていこう、目覚めていこう。全ての事を知った、分かったと思ったとしても、もっと素晴らしい、もっとすごい目覚め、悟りのために、留まることなく前進しよう。

そうしていけば皆さん自らが、完全なる意識の状態に入るようになっているのです。

その時には、「私は到達した。あの人たちはまだ到達できていない」絶対にそんな考えは起こりません。区分、違い、相対的なものはすべて無くなります。

それは何故か。

私の中にすべてそれがあるからです。

全てのものは私の一部分であるからです。

その一部分でさえも否定する必要がないがために、部分は部分としてとても貴重であると分かるがために、それをすべて認めて尊重することができるようになるのです。

これは私(ゲート師匠)が言ったからとか、(ここで)言葉で聞いたからではなく、皆さんが意識成長されたあかつきには、至極自然にそういう意識状態を持つようになるのです。

(書き起こし以上)

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すでにそうである大きな私に、いつでも気づいていたいです。

 

 

 

天国の風景

昨日、JRの駅構内で素敵なポスターを見ました。

これこれ!長野県の林の中でヨガをする吉永小百合さん。

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森林セラピー」というのがあるそうです。何とも気持ちがよさそうです。

私も、林の中を歩くのが好きなので、今日は「森林セラピー」気分で滝野すずらん公園に行ってみました。お花もたくさん咲いているはず!

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色とりどりのお花たちに迎えられました。

そして、早速森林セラピーです!(ただ散策するだけですが)

曇りのお天気でしたが、時折雲の切れ間から日の光が差し、林の中も明るくなります。

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公園の敷地はとても広いので、林の中を歩いていると、自分が一体どこにいるのか分からなくなるので、初めのうちは、時々スマホで位置確認したりしていたのですが、それも面倒になってきて、思いのままに歩くことにしました。

分かれ道があると、なんとなく「こっちに行ってみよう!」

小鳥の鳴き声が近いと、「こっちだ!」と近づいてみたり、気の向くまま、何も考えず…

それでも、どこに向かっていても、きれいな花や鳥や昆虫を見つけたりするので、ただ歩くだけでワクワクです。

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ヒマラヤの青いケシ「メコノプシス」!

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小さなくわがた!

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名前が分からないけれど、とても小さくてみずみずしいピンクの花。

 

こっちだよ。こっちだよ。と呼ばれる気がして草を分けて降りていくと…

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ルピナスとマーガレットの入り混じった広い広い花畑が目の前に現れました。

天国はこんな場所だろうか?と思える風景に感動しました。

 

林から出て美しく整備された場所に出ると、またまた、まさに天国の風景!

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こんな景色を見るたびに、私は本当はもう死んでいて、自分が死んだことに気付いていないのかもしれない……なんて思う事がよくあります。

たまたまその時に友人からラインに連絡が入ったので、

「私は今天国にいます」と写真を送ると、

「ほんとに天国だぁ~。なんどでも生まれ変わってるんだ、YUMIKOさん。素敵だね~」

というお返事が。

 

・・・そうなのかも知れない!

「死」っていうのは、本人の意識の状態から見たら、ただお隣のお部屋へ移っただけ、ただ場の移動みたいなものだから、生きているうちにだって、意識が大きく変われば、肉体をわざわざ殺さなくても、何度でも生まれ変われるのかもしれない!

と思いました。

何度でも天国を味わって、何度でも生き返って、楽しもう!と思える気づきでした。

 

 

 

 

ゲート師匠の講話から(4)

20日(火)の夜の座談会。

前半の座談会は、個人的な人間関係のお話がメインでした。

後半は、子どもたちにお話してあげても理解できるような解かりやすいお話で、当然の事なのに私たちが普段忘れている大事なことでした。

 

(座談会の記録一部書き起こし)

(前略)……みんな、一度全身のレントゲン写真を撮ってごらん。みんな普段心が大事だ、気持ちが大事だといつも言ってるだろ?でも私の姿、私の中の姿、自分たちの中の姿も大事なんじゃないか。

レントゲンを撮ると骸骨が出てくる。人がみんなといるとき、一人ひとり別の性格、別の姿、別の個性を持っているように見えるのだけれど、だけど、レントゲンを撮って出てくる骸骨の姿は皆同じです。骸骨を見て、「彼、美男子だわ」「彼女はブスだ!」なんて誰が言いますか?

全部、骸骨は骸骨に過ぎないんだよ。

では、違いはいったいどこから出てくるんだろう。

皮、面の皮一枚。その「面の皮一枚」ですよ。ただそこの違いだけなんだ。

だけど、その皮一枚、その外面(そとづら)だけでどれほど多くの人たちがストレスを受けていることだろう。

だから私たちの本当の姿、もっと真実の姿を、内部の姿を見てみよう。私たちの真実の姿は単なる骨に過ぎない。その骨に、ただ肉がペタペタくっついているだけだ。

じゃあこの骨が私の本当の姿なのか?そうではない。

もっと深く見れば、骨は全て光に代わる。その光の中に、数多くの波動がある。

じゃあ私たちのストレスはいったいどこからくるものなのか、波動の世界にストレスがあるだろうか、光の姿にストレスがあるだろうか、骸骨の姿にストレスはあるのだろうか?違う。ただ、皮一枚、この外面(そとづら)だけ、そこからすべてストレスが出てくるのではないか?

ですから今私たちが感じているストレスの全ては、私たちの本来の姿から出てきたものではなく、ただ外面(そとづら)一枚の世界に存在しているものなのだ。

そういう話を韓国の弟子たちにしたのですが、後でわかったことですが、仏教に、「白骨観想法」という修練の方法があるんだそうです。

「私は骸骨に過ぎない。他のものは全部外面(そとづら)である。」

そういうことを通して自分の本来の姿を分かっていこうとする瞑想法があるそうです。それは一般の仏教にではなく密教に伝わっているものだそうです。密教ですね。

それはね、仏教の秘法というよりは、とても常識的な話だと思います。

私たちは、本当に私たちが面の皮一枚からくる色々なストレスを受けています。自分の外見もそうだし、姿形、環境、そんなものはみんな面の皮一枚とリンクしている世界ではありませんか。

全員が骸骨の姿だとしたらどうでしょう、皆さん。姿形が醜いとしても、醜いという事さえ分からないでしょう。

醜いというのは相対的な概念です。何か美しいものがあるから醜く見えてくるのです。

だけど全員が、骸骨の姿であるとすれば、誰がそこから美しさを生み出すことができ、また、誰がそこから醜さを生み出すことができるでしょう。全ての相対的な概念、美しい、醜い、きれいだ、憎らしい、こういうことを見ると、すべて比較から来る。何らかの相手があって、それと比較する、そういうところからくる概念ではありませんか。そのためにどれほど多くの人たちがストレスを感じているでしょう。本当に面の皮一枚の事、その部分からくることに対して。

しかし、実際の私たちの本来の姿は、この中の姿は骸骨なんです。もっと深く入れば、単なる光に他なりません。もっと詳しく見れば、ウェーブ、波動、振動です。

ですから私たちの実態というものは、美しい、醜い、汚い、きれいだ、こんなものとは関係なく、純粋なエネルギーが私たちの本来の姿であり、私たちの真の存在の姿であるのです。

だから、自らの実態に対して自覚を進めれば、そのような外面、そんな皮一枚からくる、表面的で、そんなようなストレスから皆さんは自由になれるのではないか?

ですから、自分の本来の姿、私の真の実態、それは純粋なエネルギーなのです。あなたも私もなく、よくできている、できていない、そんなものはありません、汚い、醜いもない。賢い、愚かだという事もないのです。皆さん。

そこ深く深く入っていけば、その面の皮一枚がなくなれば、そこには完璧な状況、全員が純粋なエネルギーとしてなっているのです。そこには何らかの差別も区別も何もありません。それが私たちの真の姿なのです。

そのように自分の真の姿を自覚するようになれば、私たちが持っている多くの考えをどれほどたくさん変えることができるでしょう。(後略)

(書き起こし以上)

 

この後は、骸骨のバッヂを作っていつも着けてたらいいんじゃないかとか、レントゲン写真を鏡の代わりに壁にかけよう!などとジョークを飛ばしていた師匠でしたw

 

 

師匠の話を聞いていて、私も思い出したことがありました。

私は何故か、外国の方に道を尋ねられたリ、話しかけられたりすることがよくあるのですが、いつもドギマギしてしまって、うまく受け答えができず残念な思いをするんです。けれど、ある場所では、私のつたない英語でも外国の方と深いお話が出来たことが2度ほどあって……

その場所とは、どちらも……

温泉!しかもどちらも露天風呂でした!

お互いに素っ裸でリラックスした状態だったからでしょうか、旅のお話、これまでに訪れた国のお話、近くの観光スポットの事……のぼせてしまうほど、楽しく語り合えたのでした。

裸の付き合い最高!温泉最高!日本人でよかった !!

まあ、裸も比較してしまいがちですから、やはり骨まで、波動まで、エネルギーまで単純化した方が、互いに余計なエゴもなくなって交流を純粋に楽しめますよね(^^♪

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この子達にはどんな世界が見えているのかな。