過ちの修正
今日は音楽仲間との練習日♫
練習場所は遠くて、
ドライブ時間が長いので、
いつものようにコースの学習です😊
昨日のイベント前の
あの人のネガティブな言動についての解説を
イエス兄がしてくれました!
自戒も込めて書いておきます。
(以前コースを朗読していた頃、「ある出来事の後に解説してくれる」とか「解説してくれた後に実体験が起こる」など、よくありました。今回は久しぶりだなぁ😆)
(T9-3から抜粋)
Ⅲ 過ちの修正
朗読『奇跡のコース』#70 Ⅲ 過ちの修正 - YouTube
「他のエゴの過ちに対してエゴは注意を怠りませんが、このような警戒は「聖霊」があなたに維持してほしいと願っているものではありません。エゴが象徴する"感覚"と言う点について言えば、エゴは批判的です。エゴはこの種の感覚を理解しますが、その理由は、それが彼らにとって分別のあることだからです。「聖霊」にとって、それは全く意味をなしません。
エゴにとっては、過ちを指摘し"修正する"事は親切なことであり、正しいことであり、良いことです。これは過ちとは何であるか、修正とは何であるかを自覚していないエゴにとっては完全に意味をなします。過ちはエゴに属するものであり、過ちの修正はエゴを放棄することにかかっています。」
(「そうそう、昨日のネガティブなあの人は
いつも批判的なのでホント苦手…」
と思いながら上の文を今書いていたら、
次の文は、
私の彼に対する批判的な思いへの戒めのようで、今、少しびっくりしてます‼️
車で聞いていた時には、心には引っかからなかったのに…)
「もしもあなたが兄弟のエゴの過ちを指摘しているとすれば、あなたのエゴを通して見ているに違いありません。なぜなら、「聖霊」は兄弟の過ちを知覚しないからです。これは絶対に真実でなければなりません。というのは、エゴと「聖霊」の間にはコミニケーションは存在しないからです。エゴは意味をなしません。そして「聖霊」はそれを理解しないがために、それを価値判断せず、エゴが作るものは何であれ意味をなさないと言うことを知っています。」
「誰であれ人の中に過ちを知覚し、それがまるで実在するかのように反応すれば、それを自分にとって実在させることになります。」
「あなたの兄弟の過ちは、あなたの過ちがあなたに属するものでは無いのと同じように、彼に属するものではありません。彼の過ちを実在するものとして受け入れれば、あなた自身を攻撃したことになります。あなたの道を発見し、それを維持したいと望むならば、あなたの傍に真実だけを見てください。」
(抜粋以上)
会社の人間関係だけでなく、親子関係、夫婦関係にも当てはまるよね。
「過ちは存在しない。だから、ゆるして聖霊に任せる」
私達に出来る事はやっぱりこれだけですよね。
ネガティブなあの人もゆるす!
寒さもゆるんで春の兆しがあちこちにに見られました。
今日から三月♫
春よ来い🌷