解らない事
朝から、夫の行動にイライラ…
その自分のイライラ気分が嫌で、
いつもより早めに家を出て、職場へ向かいました。
歩きながら、
「どうして彼はあんな行動するのかな?」
「きっとこんな事やあんな事なんかを考えているんだろうな」
「私の事もこんな風に思っているに違いない」
と彼の心情についての私の見解が、頭の中をグルグルしています。
でも…
「こうに違いない!」と私の思考が導き出した彼の心情は、どんなに正解だと私が感じたとしても、ただの妄想でしかない事は明白でした。
「ああ、どこまで考えたって、人の心の中なんて解らないんだよね。想像、妄想しかできないよね」
と思えた時に、先日の友人のブログに書かれていた事を思い出しました。
(秀峰のブログ)
https://ameblo.jp/shuhom/entry-12434322754.html
(以下一部転載)
私たちは「妄想」をすることにより、たいてい、不快になったり不安になったり、怒りが湧いてくるものです。解らないことは悪い方に考える傾向があるからです。
つまり、「妄想」の結果、勝手に架空のものごとをでっち上げ、「事実、そうに違いない」と結論付け、それにより、心の平安を乱すことが多々あるのです。
過去も未来も、現時点では、その状態は実在していません。また、誰かの心中を探ってみても、他人の真意は知りえません。
人間関係が難しいのも、誰かの真意を「妄想」しなければならないからに他なりません。人は、自分の真意さえ、正確に認識しているとも限りませんし。
この「莫妄想」を心掛けているだけで、いかに自分がお伽話の世界で右往左往するように習慣づいているかがわかります。
(転載以上)
私達人間の認識や思考が及ぶ範囲なんて、
ホントにホントに微々たる物でしかないのに、
私達は、
「解らない事」の不安に耐えられず、
わずかに認識できる範囲内の「きっとこうに違いない」で安心しようとするのでしょうね。
そんな物で「安心」なんか出来っこないのに。
そう考えていたら
「解らない」という事の上に安心してみる
という言葉が浮かびました。
「解らない」のままにしておこうというのです。
自分の思考が選び出した「これに違いない」の思いは、それに見合った波動を作り、きっと幻想世界を外側に投影するでしょう。
けれど、「解らない」のままにしておいて、後の事は聖霊さんや天使さんにお任せしよう!という気分でいれば、それ以上、自分の波動を落とさずにすみます。
それに…
良く考えてみれば、
「解らない」の中には、たくさんの可能性がありますよね!
人間の私達には思いもよらないような事だって起こり得ます。
そんな風に考えると、
「解らない」という状態もステキな事に思えてきました😊♫
「解らない」=「不安」としか解釈出来なかったのが、
「解らない」=「大きな可能性あり!」
とも解釈する事も出来ます!
私の中の観念が少し変化した気がしました😊
(いつもより会社に早く着いた私には、グッドタイミングな出来事がありました♫
これもミラクル✨)