怖れと葛藤
今日はお仕事がお休みの日。
朝からお天気が良くて、お日様がドライブに出かけようよ!と誘っています🌞
「そうだ!江別の新しいTSUTAYAに行きたいな💕」
でも、
「昨日から、明日のお休みは朗読動画アップしよう!って考えていたでしょ?ドライブは我慢して、動画作らなきゃね」
と、頭の中の真面目な私が言います。
それに、
「合唱曲のドイツ語歌詞の意味も調べて、楽譜に書き込まなきゃならないし!」
それに、
「午後3時頃には、スキー学習に出かけた娘を車でお迎えに行かなくちゃならないよ」
だから、
「TSUTAYAは今度にしようか⤵︎」
「今日は出かけないで、家にいようか⤵︎」
「だよねー⤵︎」
「…⤵︎」
この辺で自分のテンションが下がってる事に気付いて、
「ホントはどうしたい?私?」
もう一度気持ちを確かめたら、
「ドライブ🚘💖」
そう決めると、ワクワクしてきて、
「TSUTAYAに入っているスタバで合唱曲の楽譜書き込みもできるじゃない♫」
「TSUTAYAの帰り道で娘を迎えに行けばいいじゃない♫」
「動画アップは明日出来るじゃない♫」
というわけで、片道一時間半の江別まで、
ドライブ&スタバでお勉強
という事に決定😊♫
私がひとりでドライブする時は、
時々は音楽を聴いたり、ラジオを聴いたりもするのですが、
大抵は、自分が朗読した「奇跡のコース」や「神の使者」などを聴いているんです。
家で聴くよりも内容が良く入って来て、気付きがやってくる事も多かったりするんです。
(時々何故か号泣したりもします😭)
今日はコースの第2章の「6 怖れと葛藤」が妙に心に引っかかりました。
「マインドは、自分が何を欲するのかについて葛藤があるとき、恐れを見出します。欲することと行うことが食い違うために緊張状態を余儀なくされ、恐れを生み出すのです。」
「過ちを解除するための修正の第一歩は、まず葛藤とは恐れの表れであると知ることです。」
何だか、朝の私の頭の中の葛藤状態を見抜かれていたような話でした。
マインドの中の過ちを取り消していく段階が次のように要約されています。
●まず、これ(葛藤)は恐れであると知る。
●恐れは、愛の欠如から生じる。
●愛の欠如に対する唯一の治療薬は、完璧な愛である。
●完璧な愛は「あがない」である。
いつも、この「あがない」という言葉がどうにも曖昧で分かりづらかったのですが、今日、この部分を何度も聴いているうちに、ふと「あ、そういう事か」と腑に落ちました。
「あがない」とは、
これまで信じ込んで来た信念や価値判断などを手放していく事だ!
神が創造したままの自分に戻って自由になる事だ!
完璧な愛とは、そのまんまのあなたでいいよ!大丈夫だよ!と存在そのものを認めてもらえる事だ!
だから「完璧な愛」は「あがない」なのか!
私の朝の葛藤も、
「自分への愛の欠如だったんだな」
と思いました。
イエス兄はここでこんな風にも言っていて、車の中で笑ってしまいました😊
「何かをする前に、あなたの選択が私のそれと一致しているかどうか、私に聞いて下さい。もし、一致していると言う確信があなたにあれば、怖れはないでしょう。」
はいはい、ずっと付いていきますよ!
イエス兄。よろしくね。
で、江別TSUTAYAに到着!
TSUTAYAのスタバで、楽譜に歌詞の意味を書き込もうとして、ふと見た言葉にまたまた笑ってしまいました。
さっきの私のセリフみたいだ💦
にぃに、わかったってば😆
今日のドライブも、にぃにの企みだったかな?
(TSUTAYAからの帰り道、スキー学習帰りの娘を乗せたバスともぴったり同着で、ドライブの締めも奇跡的でした😊♫)