ゲート師匠の講話から(5)
21日(水)午前の講話では、色々な興味深いお話が次々と出てきました。
例えば…
〇仏教が菜食主義となった本当の理由
〇「相対性理論」の相対性原理を作用させているもの
〇空中浮遊について
〇放射線について
〇人の声の振動が水の分子構造を変える?!
面白い話がポンポンと飛び出すので、会場は始終、笑い声が響き、リラックスした雰囲気に包まれていました。
それでも最後の師匠の話が、多岐にわたったお話を、びしっと一つにまとめて下さいました。
(以下一部書き起こし)
…人間が潜在的に持っている能力は無限なのです。
私たちは何でもないようにいろんな考えを起こし、色んな事を言ってしまうが、私たち人間には無窮、無限の能力が潜在的にあるがために、自覚を通じて自分自身を発見し、成長させ、自らの能力を取り戻すべきなのです。
私の、自分の感覚を取り戻すべきです。
こういった事がとても重要なのです。
また何かを学ぶときには、すべての真理に対して謙遜であるべきです。
考えはいつでも変えることができます。
私が知っていることにあまりにも固執するなら、知っているというその枠にとらわれてしまうのです。
学びというのは限りないもの。
ですから
「常にオープンハート、開かれた心を持って頑張ろう。自慢することなく、傲慢でもなく、「私のものである」という主張を捨てて、自らの中で覚醒が起こるときまで、覚醒が一つ起こればまた別の覚醒のために、ずっと自覚し続けよう。」
こういう精神がとても必要なのです。
本当にしっかりここで勉強するぞと思えば、心の出家。
私が持っているものをすべて捨てるというのではなく、そこで留まることなく、もっと進んでいこうと言っているんです。
既存の自分の判断や価値観を無視しなさいと言っているのではありません。そこからもっと前に進もうと言っているのです。そしてもっと前進するべきだと言っているのです。
皆さん勉強してみれば何かが分かったような気持ちになって、人よりもずいぶん進んでいると思い込み、それを知らない人間を自分よりも劣ったものとみて、はなはだしくは、「私は全部分かった。」という風に思い込みますが、そういう時こそ、私自身を奮い立たせて、もっと前に進もうとするのです。
もっと、もっと大きく自分を開いて行こう。もっと悟っていこう、分かっていこう、目覚めていこう。全ての事を知った、分かったと思ったとしても、もっと素晴らしい、もっとすごい目覚め、悟りのために、留まることなく前進しよう。
そうしていけば皆さん自らが、完全なる意識の状態に入るようになっているのです。
その時には、「私は到達した。あの人たちはまだ到達できていない」絶対にそんな考えは起こりません。区分、違い、相対的なものはすべて無くなります。
それは何故か。
私の中にすべてそれがあるからです。
全てのものは私の一部分であるからです。
その一部分でさえも否定する必要がないがために、部分は部分としてとても貴重であると分かるがために、それをすべて認めて尊重することができるようになるのです。
これは私(ゲート師匠)が言ったからとか、(ここで)言葉で聞いたからではなく、皆さんが意識成長されたあかつきには、至極自然にそういう意識状態を持つようになるのです。
(書き起こし以上)
すでにそうである大きな私に、いつでも気づいていたいです。