ÉMAncipé

自分をもっと解放していきたい 朗読者EMAの日々

ゲート師匠の講話から(4)

20日(火)の夜の座談会。

前半の座談会は、個人的な人間関係のお話がメインでした。

後半は、子どもたちにお話してあげても理解できるような解かりやすいお話で、当然の事なのに私たちが普段忘れている大事なことでした。

 

(座談会の記録一部書き起こし)

(前略)……みんな、一度全身のレントゲン写真を撮ってごらん。みんな普段心が大事だ、気持ちが大事だといつも言ってるだろ?でも私の姿、私の中の姿、自分たちの中の姿も大事なんじゃないか。

レントゲンを撮ると骸骨が出てくる。人がみんなといるとき、一人ひとり別の性格、別の姿、別の個性を持っているように見えるのだけれど、だけど、レントゲンを撮って出てくる骸骨の姿は皆同じです。骸骨を見て、「彼、美男子だわ」「彼女はブスだ!」なんて誰が言いますか?

全部、骸骨は骸骨に過ぎないんだよ。

では、違いはいったいどこから出てくるんだろう。

皮、面の皮一枚。その「面の皮一枚」ですよ。ただそこの違いだけなんだ。

だけど、その皮一枚、その外面(そとづら)だけでどれほど多くの人たちがストレスを受けていることだろう。

だから私たちの本当の姿、もっと真実の姿を、内部の姿を見てみよう。私たちの真実の姿は単なる骨に過ぎない。その骨に、ただ肉がペタペタくっついているだけだ。

じゃあこの骨が私の本当の姿なのか?そうではない。

もっと深く見れば、骨は全て光に代わる。その光の中に、数多くの波動がある。

じゃあ私たちのストレスはいったいどこからくるものなのか、波動の世界にストレスがあるだろうか、光の姿にストレスがあるだろうか、骸骨の姿にストレスはあるのだろうか?違う。ただ、皮一枚、この外面(そとづら)だけ、そこからすべてストレスが出てくるのではないか?

ですから今私たちが感じているストレスの全ては、私たちの本来の姿から出てきたものではなく、ただ外面(そとづら)一枚の世界に存在しているものなのだ。

そういう話を韓国の弟子たちにしたのですが、後でわかったことですが、仏教に、「白骨観想法」という修練の方法があるんだそうです。

「私は骸骨に過ぎない。他のものは全部外面(そとづら)である。」

そういうことを通して自分の本来の姿を分かっていこうとする瞑想法があるそうです。それは一般の仏教にではなく密教に伝わっているものだそうです。密教ですね。

それはね、仏教の秘法というよりは、とても常識的な話だと思います。

私たちは、本当に私たちが面の皮一枚からくる色々なストレスを受けています。自分の外見もそうだし、姿形、環境、そんなものはみんな面の皮一枚とリンクしている世界ではありませんか。

全員が骸骨の姿だとしたらどうでしょう、皆さん。姿形が醜いとしても、醜いという事さえ分からないでしょう。

醜いというのは相対的な概念です。何か美しいものがあるから醜く見えてくるのです。

だけど全員が、骸骨の姿であるとすれば、誰がそこから美しさを生み出すことができ、また、誰がそこから醜さを生み出すことができるでしょう。全ての相対的な概念、美しい、醜い、きれいだ、憎らしい、こういうことを見ると、すべて比較から来る。何らかの相手があって、それと比較する、そういうところからくる概念ではありませんか。そのためにどれほど多くの人たちがストレスを感じているでしょう。本当に面の皮一枚の事、その部分からくることに対して。

しかし、実際の私たちの本来の姿は、この中の姿は骸骨なんです。もっと深く入れば、単なる光に他なりません。もっと詳しく見れば、ウェーブ、波動、振動です。

ですから私たちの実態というものは、美しい、醜い、汚い、きれいだ、こんなものとは関係なく、純粋なエネルギーが私たちの本来の姿であり、私たちの真の存在の姿であるのです。

だから、自らの実態に対して自覚を進めれば、そのような外面、そんな皮一枚からくる、表面的で、そんなようなストレスから皆さんは自由になれるのではないか?

ですから、自分の本来の姿、私の真の実態、それは純粋なエネルギーなのです。あなたも私もなく、よくできている、できていない、そんなものはありません、汚い、醜いもない。賢い、愚かだという事もないのです。皆さん。

そこ深く深く入っていけば、その面の皮一枚がなくなれば、そこには完璧な状況、全員が純粋なエネルギーとしてなっているのです。そこには何らかの差別も区別も何もありません。それが私たちの真の姿なのです。

そのように自分の真の姿を自覚するようになれば、私たちが持っている多くの考えをどれほどたくさん変えることができるでしょう。(後略)

(書き起こし以上)

 

この後は、骸骨のバッヂを作っていつも着けてたらいいんじゃないかとか、レントゲン写真を鏡の代わりに壁にかけよう!などとジョークを飛ばしていた師匠でしたw

 

 

師匠の話を聞いていて、私も思い出したことがありました。

私は何故か、外国の方に道を尋ねられたリ、話しかけられたりすることがよくあるのですが、いつもドギマギしてしまって、うまく受け答えができず残念な思いをするんです。けれど、ある場所では、私のつたない英語でも外国の方と深いお話が出来たことが2度ほどあって……

その場所とは、どちらも……

温泉!しかもどちらも露天風呂でした!

お互いに素っ裸でリラックスした状態だったからでしょうか、旅のお話、これまでに訪れた国のお話、近くの観光スポットの事……のぼせてしまうほど、楽しく語り合えたのでした。

裸の付き合い最高!温泉最高!日本人でよかった !!

まあ、裸も比較してしまいがちですから、やはり骨まで、波動まで、エネルギーまで単純化した方が、互いに余計なエゴもなくなって交流を純粋に楽しめますよね(^^♪

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この子達にはどんな世界が見えているのかな。